「ジュエリーデザイナーになったわけ」

 

幼少の頃から透明でキラキラしたものがすきだったようだ。
母は結婚指環もはめていないような人であったので、宝飾品とは無縁の環境で育ったのだが、学校から帰ってきて、おもちゃのブローチやペンダントを、花模様のペーパーナプキンを敷いたお菓子の空箱に並べて眺めるのが、楽しくてしようがなかった。
また、ビーズの指環や透明なプラスティックパーツで作ったネックレスを、じゃらじゃら着けては、ほくそえんでいるような子供だった。
「デザイン」なんて言葉も知らない頃だが、人形作りをしたりお菓子を焼いたりと、その頃から「創作」ということが好きだったようにも思う。
マニュアル通りではなく、かならず自分のアイデアを形にしていた。
オリジナルな物に対する執着とバランス感覚は、その頃つちかわれたのかもしれない。

絵を描くことは得意ではなく、目の前にあるものをスケッチすることは、わりとうまかった気もするが、頭に思い浮かんだものを紙に描くなんて芸当は、まったく持ち合わせていなかった。
深夜、机に向かってデザイン画を描いていると、絵を描いている自分にいまだに驚かされる。

高校生の終盤、周りが進路を決め出す頃、奥底に沈められていた様々な思いが、一瞬にして合致し沸き起こった。
「宝石専門学校」の存在を知った時だ。
いずれ社会人になって、お金を稼ぐようになれば、ジュエリーを買い集めることは容易い。
ジュエリーで身を飾りたいという思いは簡単に成就できたはずだ。
でもそこで私が思ったのは、自分でデザインしたい、自分でデザインしたものを着けたい・・・だった。
その思いだけで私は入学を決意した。

私がジュエリーデザイナーになろうと思ったのは、何よりも自分自身のためであり、十数年、このやっかいな顧客を満足させるほどの知識とセンスは積んできたつもりでいる。
今でもこうして続けられているのは、自分のためはもちろんだが、ちょっとよそ様のものにも、おせっかいをしたくなったからかもしれない。